https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fphys.2020.00816/full
概要
「骨格筋における筋形質の肥大は、(実際には存在しないユニコーンのように)科学な幻想なのか?それともレジスタンストレーニングへの適応なのか?」というタイトルの論文です。
高重量・低レップのトレーニングだと筋原線維が肥大しやすく、低重量・高レップのトレーニングだと筋形質が肥大しやすい・・・というのはフィットネス関連の一般記事で確定事項のように書かれていたりするのですが、測定の精度や実験の難しさなどにより、科学界ではまだはっきりと結果が出ていません。
(1)の論文は、現時点での筋形質の肥大についての研究結果や、筋繊維の構成要素の測定方法の解説をまとめています。この論文は、トレーニング方法やトレーニング歴によって筋繊維の構成要素が異なった適応を見せるのはありえるというスタンスです。
筋繊維の構造
筋形質(sarcoplasm)とは
論文での定義がちょっと曖昧で、筋形質の指すものが「筋繊維の中身の筋原線維以外の部分」なのか、「筋線維内を満たす液状の媒体」なのかよくわからないです。普通の細胞との対比だと、前者が細胞質で、後者が細胞質基質におおむね相当すると思います。論文の序盤に「The aqueous media that myofibrils and non-myofibrillar components reside in is termed the sarcoplasm」と書かれているので後者の定義に見えるのですが、読んでいくと文脈によっては前者の意味で使われている部分もあります。
「筋繊維の中身の筋原線維以外の部分」だと、液状の媒体に加えて筋小胞体、ミトコンドリア、リボソーム、グリコーゲン顆粒、筋肉内の脂質、酵素なども含まれます。本記事ではとりあえず、筋形質の肥大とは「筋繊維の中身の筋原線維以外の部分が相対的に増えること」だと考えていくことにします。
推定によると、筋繊維内の空間の約85%が筋原線維、約5-6%がミトコンドリア、約9%が筋形質です。
<筋繊維の断面イメージ図>
<透過型電子顕微鏡(TEM)での筋繊維断面画像>
図では筋原線維の数が増えていますが、筋原線維の肥大(筋原線維の構成タンパク質の総量の増加)がどのように起こるのか、実ははっきりわかっていないです。可能性としては以下の3つが考えられています。
(b) 既存の筋原線維にタンパク質が付着して太くなる。
筋形質の肥大の測定方法
微細な組織の構造を測定するのは難易度が高いです。測定方法の概要や精度面での限界を知っておくと、「研究で◯◯という結果が出たからそれが科学的に正しい」といったことは安易に言えなくなります。
・透過型電子顕微鏡(TEM)
1-2mgの筋肉組織を採取して、いくつかの処理手順ののち、筋肉細胞の拡大画像を取得。1つの画像で、1本か2本の筋繊維の部分的な平面画像を得られる。採取した組織の処理に数日かかる。また処理の過程で筋繊維の構造が変わる可能性がある(変わると筋形質のスペースも変わるので正確な測定ができない)。コスト面と高い専門技術が必要なことから、運動生理学の研究室に置かれることは滅多に無い。
・ファロイジン染色
筋肉組織を採取して、染色して、蛍光顕微鏡で観察する。1つの画像で20-30本の筋繊維を観察できる。TEMよりは処理手順が容易。TEMと同様に平面画像しか得られない。非収縮性のアクチンタンパク質も染色するので、筋原線維の面積を測定するときに紛らわしいことがある。
・SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGE)クマシー染色
採取した筋肉組織に含まれる筋原線維の構成タンパク質の相対的な割合を測定できる。TEMやファロイジン染色に対してのこの手法の優位性は、より多量の筋繊維の分析ができることと、3次元の筋肉組織の構成(構成タンパク質の割合)を推測できること。
参考サイト:ポリアクリルアミド電気泳動(SDS-PAGE)の原理と方法
数ヵ月のレジスタンストレーニングにより筋形質の優先的な肥大が起きた場合は、トレーニング開始前とトレーニング期間終了後とで、筋原線維のタンパク質の相対的な割合が低下する。
・Specific Tension
筋肉組織を採取して、そこから1本の筋繊維を微細な解剖で切り出して、力を測定する機器につないで、ATPやカルシウムイオンが含まれた溶液に浸けて収縮させ、アイソメトリックでの1本の筋繊維の発揮する力を測定する。その力を筋繊維1本の断面積で割って、筋繊維が単位面積当たりに発揮する力(Specific Tension)を算出する。
筋繊維内の収縮要素(つまり筋原線維)の割合が低い場合は、その筋繊維が発揮する力が小さくなる。従って、Specific Tensionを比較することで、筋繊維内の筋原線維の割合が高いか低いかを間接的に推測することができる。例えば、ボディビルダーの筋繊維のSpecific Tensionが低い場合、長期間の高ボリュームトレーニングにより筋形質の優先的な肥大が起きて、筋原線維の密度が低下し、Specific Tensionが低くなったという推測ができる。
筋繊維を切り出して測定するため、神経系の適応の影響を除外できるのが利点(例えばレッグエクステンションなどのストレングスが向上した場合、それが筋原線維の肥大によるものなのか、神経系の適応によるものなのかわからない)。短所は、1本の筋繊維の一部分の発揮する力しか測定できないこと。また非常に細かい作業をおこなうので、専門機器と高い技術が必要。
<筋線維を測定機器につなぐ様子>
どの手法にも言えることですが、筋繊維の変化を調べる場合、実験前後でそれぞれ筋肉から組織を採取するため、同じ組織の変化を調べているわけではないのが注意点です(採取した筋肉組織をまた体内に戻して経過観察したりはできない)。実験前と実験後に採取した部分の筋肉組織は、実験前は筋繊維の断面積やその構成要素の割合は同じくらいで、レジスタンストレーニングにより実験後には同じような変化が起きているだろうとの前提です。
私は素人なので細かい技術面はわからないですが、同組織の経過観察ではないですし、これだけ細かくて複雑な手順が必要なので測定精度が高いとは思えず、数ヵ月での筋繊維の変化率を考えると、決定的な結果を出すのは相当に難しそうだなと思います。
筋形質の肥大についての研究
筋形質の優先的な肥大が起こることをサポートする研究はいくつかあります。レジスタンストレーニングの継続により、筋原線維の面積が減ったとする研究(2)(3)、ボディビルダーのSpecific Tensionがトレーニング歴なしの人より低いという研究(2)(4)、高ボリュームのトレーニングで筋原線維のタンパク質の割合が低下したが(5)、高重量のトレーニングだと筋原線維タンパク質の割合低下がわずかだったという研究(6)などがあります。
逆に、レジスタンストレーニングにより筋繊維の断面積増加に比例しての筋原線維の肥大が起きた(つまり筋形質の優先的な肥大は起きなかった)という研究は、TEMで測定した研究(7)、スペシフィックテンションの研究(8)(9)、SDS-PAGEの研究(10)などがあります。筋形質の優先的な肥大が起きなかったというこれらの研究は、いずれも被験者がトレーニング歴なしです。(2)(4)の研究とは逆に、ボディビルダーの速筋のSpecific Tensionがトレーニング歴なしの人より高いという研究(11)もあります。また、一回のトレーニングのあとのタンパク質合成の研究だと、筋原線維のタンパク質の合成は観察されますが、筋形質のタンパク質合成が観察されないです。
筋形質の肥大が起きるトレーニング
低重量や高ボリュームのトレーニングで筋形質の優先的な肥大が起きることをサポートする研究を整理してみます。
(5)の研究は、高重量ではなくボリュームが多いトレーニングを行っていて、筋形質の優先的な肥大が起きたという結果になっています。トレーニング方法は「60%1RMの重量、10レップ、インターバル2分、最初は週10セットで、徐々にセット数を増やしていき最終的に週32セット」です。(6)の研究は、3–5セット、3–8レップ、70-90%1RMのトレーニングで、筋形質の優先的な肥大が起きなかったという結果です。(5)(6)の研究は、SDS-PAGEで筋原線維のタンパク質の割合変化を測定しています。
間接的なものでは、高ボリュームのトレーニングを長期間続けてきたであろうボディビルダーのSpecific Tensionが低いという研究です(2)(4)。ただ他のボディビルダーを被験者としたSpecific Tensionの研究では結果が違っています(11)。
あとは、低重量(14-16RM/50-55%1RM)と高重量(6-8RM/80-85%1RM)のトレーニング効果と、トレーニングを止めた後の経過を観察した研究があります(12)。低重量グループはトレーニングを止めてから8カ月でトレーニング前の水準にストレングスが低下しましたが、高重量グループは8カ月後でもトレーニング前よりもストレングスが高く、ストレングスの低下が遅くなっています。神経系の適応の影響が残っているのかもしれないですが、可能性としては高重量グループは筋原線維がより肥大していてストレングス低下が遅く、低重量グループは筋形質肥大の割合が高く筋原線維はあまり肥大していなくて、ストレングス低下が早いといったことが考えられます
低重量や高ボリュームのトレーニングで筋形質の優先的な肥大が起きることを示唆する研究はこれくらいしかありません。低重量グループと高重量グループとで、筋繊維の構成要素に違いが出るか直接調べた研究は現時点では無いです。現状では、特定のトレーニング方法で筋形質が優先的に肥大する、もしくは筋原線維メインの肥大が起きるということは強く主張しにくいです。
筋形質の肥大が起きるケースの仮説
(1)の論文では、筋形質の優先的な肥大が観察されたり、されなかったりする理由として、初心者か経験者かというトレーニング歴や、トレーニング方法の違いが影響する可能性が考えられています。
それにより、筋形質の優先的な肥大が起きる3つのケースを仮説として挙げています。
1. トレーニングによる一時的なむくみ
高ボリュームなどのダメージの大きいトレーニングをすることで筋繊維への水分の引き込みが起こり、筋形質の体積が増える。トレーニング初心者のトレーニング開始直後や、トレーニング経験者でも不慣れな高ボリュームのトレーニングをおこなうと、こうしたむくみにより筋形質の優先的な肥大が起きる。
2. 筋繊維が成長するための一時的なメカニズム
筋原線維が増えて筋繊維が太くなる場合、まず筋形質が肥大して、新たな筋原線維のタンパク質が合成される環境とスペースを作る。筋形質の優先的な肥大は、筋繊維がさらに太くなるための過程である。
3. 筋原線維の肥大が上限に達したあとは筋形質が肥大していく
トレーニングを続けていくと、1本の筋繊維内の筋原線維のタンパク質の蓄積量が上限に達する。そうした人がさらにトレーニングを続けると、筋形質が優先的に肥大していく。Specific Tensionの低いボディビルダーがこのケースに相当する。
<参考文献>
(1)Sarcoplasmic Hypertrophy in Skeletal Muscle: A Scientific “Unicorn” or Resistance Training Adaptation?
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fphys.2020.00816/full
(2)Muscle ultrastructural characteristics of elite powerlifters and bodybuilders
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/7199447/
(3)Resistance training alters skeletal muscle structure and function in human heart failure: effects at the tissue, cellular and molecular levels
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3381828/
(4)Single muscle fibre contractile properties differ between body-builders, power athletes and control subjects
https://physoc.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1113/EP085267
(5)Muscle fiber hypertrophy in response to 6 weeks of high-volume resistance training in trained young men is largely attributed to sarcoplasmic hypertrophy
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0215267
(6)Skeletal Muscle Protein Composition Adaptations to 10 Weeks of High-Load Resistance Training in Previously-Trained Males
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7135893/
(7)Structural changes in skeletal muscle tissue with heavy-resistance exercise
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/2942497/
(8)Effect of resistance training on single muscle fiber contractile function in older men
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10904046/
(9)Functional properties of human muscle fibers after sort-term resistance exercise training
https://journals.physiology.org/doi/full/10.1152/ajpregu.00120.2002
(10)Skeletal muscle mitochondrial volume and myozenin-1 protein differences exist between high versus low anabolic responders to resistance training
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6065464/
(11)Skeletal muscle hypertrophy and structure and function of skeletal muscle fibres in male body builders
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1479884/
(12)ORIGINAL ARTICLEStrength training and detraining effects on muscularstrength, anaerobic power, and mobility of inactive oldermen are intensity dependent
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1725040/pdf/v039p00776.pdf
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